絶望氷河期鬱病オペレータ

ブラック企業に鬱病に耐えつつ十数年勤務、転職⇒更に鬱病悪化。カネなしコネなし、でもまだ何とか生きています

ブラックスパイラル

叔父が入院となりました

高齢であり、一人暮らしで病院嫌いだったのもあり、心配していたのですが

*心配できるような身分ではないですが

調子が悪いと電話があり、なけなしの金を持って帰省

病院に連れて行って、即入院となりました

 

最近乗っていなかったのであろう、埃被った車で病院に叔父を連れて行く途中

叔父「すまんな」

の一言に、涙が止まらず…

最後の身内で、就職難の辛さと精神病んでいる状態をわかってくれた数少ない理解者

自分はこれまで恩返しもできずに何をしていたのだろうと。。。

 

せめて、叔父の看病と、治療費は出せるようにしようと就職活動を実施

 

「一般的なお話ですが、うちはハードワークなので、体力的にきついのですよ」

「ご自身の経験と、こちらの求める人材像と少し違うようなので、申し訳ございません」

「もう少し若い人が欲しくてね」

人手不足なんか嘘ですね

サラリーが安くても、年齢で切られる

結局、ブラック中小業界に4月入社に

企業面接はモラハラ臭プンプン発言

「いやできないならできないって言って、断ってほしいんですよ。私はいいんですけどね、配属現場からクレームがくるのは嫌なんですよ。人が足りない足りないっていうから、採用は出してるんですけどね、碌なのがこなくて(うんぬん30分ひたすらしゃべり続ける)」

 

面接後、トイレで思いっきり吐きました

あれだけ言って、合格通知とかどうかしているのではないか、と思ってしまう

このスパイラルからどうやって抜け出せるのだろう。。。

叔父のため

自分の為ではないと言い聞かせ、カウントダウン

ブラック時代の服毒自殺 その2

つづき

 

極度のストレス環境と、直前の〆切など切迫した状況が繰り返し繰り返し続くと、他のことを考える余裕がなくなるのですね

 

また、これがいつまで続くか、その先に希望が見えないと、さらに余裕がなくなり視野が狭くなります

 

当時は自己責任という言葉で世の中に縛られていたし、就職であれだけ面接官にぼろくそに言われ落ちまくったことを考えると、もう転職や辞めるということを考えることさえ自分の中でタブーにもなっていました

 

で、前回の続き

 

たっぷりのんだのです、余裕をもって

 

アルコールと共に眠りについたのです

 

 

が、うっすらぼんやりの記憶ですが、トイレで猛烈に吐いているんですね

 

どうやってトイレまで行ったのかはわからないのですが、恐怖でとにかく吐かなくてはという気持ちがいっぱいだったと思います

 

後付けの考えですが、死の恐怖というのは、日常の意思とは別次元のものな気がします

 

どんな決意があっても、死の恐怖に直面したときには、その恐怖が頭の中を覆いつくす

 

自殺というものを図るためには、死の恐怖に支配されて、生存の方法を探らせないように、生死の境を一気に飛び越えなければいけないのでしょうね

 

で、本能が働いてもどうしようもない状況にもっていく

 

たとえば、飛び降り自殺というやつがあっても、飛ぶまでできても躊躇いがでて、とっさに建物の方に近づくということを聞いたことがあります

 

これも、飛び降りるという死の決意ができても、本能の生存に支配された結果なのかもしれません

 

翌日、まったく記憶にないのですが出社していたそうです

会話にならない状態であったけれど、デスクワークをして、帰っていったらしいです

*記憶になし

 

その次の日に記憶を取り戻す状態になりましたが、ひどい頭痛と目がかすんだ状態でした

何をしたのかも覚えておらず、とりあえず出社

 

何も変わらず、ただ辛い状態になっただけで(あと多分脳細胞が大量に死んだぐらい)精神の状態も変わらず、そのまま会社が終わるまで数年働くことになります

 

つづく

ブラック時代の服毒自殺 その1

最近は自殺関連の検索をすると、いのちのSOSなんちゃら、とガイドがでてきますね

 

あとは、予防センターやら市役所のリンクがうんたらかんたら

 

 

いろいろ自由がある国だけれど、死ぬ自由はないのだなぁと

 

さて、昔々、超ブラックの時代のお話

 

表題の服毒自殺にチャレンジしました

勿論結果は失敗

1日朦朧とした頭で出社し、またブラック状況に舞い戻りことになりました

つまり休んでもない

しかも薬で脳が崩壊しているから、ちっとも休んだ記憶がない

復帰後も、頭はぼーっとしていたし、周囲の人も周りに気を使えるような環境でもなかったので、何も変わりませんでした

 

まぁ、今とそんなに心理状況は変わりません

追い詰められた切迫感は強かったかな?、まだ若かったし

間に合わない、やることがわからない、何をしても怒鳴られるという状況にふらふら

とにかく言われる作業をするのだけれど、やっても追加でこれができていないと怒鳴られる

ゴールがわからないし、都度報告や相談に行くも怒鳴られる、理解のできない内容を説明されて質問の余地なくハイさよなら

もちろん、自分の頭や要領の悪さは自覚してます

だからこそ相談をしたかったのですが、もう職場全体が孤立、個人だけに情報が紐づく世界

 

で、ふらふらと古本でかの「完全自殺マニュアル」を目にしてしまうわけです

ぽちっと押したあと、手元に届いたとき

トラベルミン」で逝ける、の文字に惹かれてしまうのです

 

首吊りとか、飛び降りとか、もう言い訳できないデス・ロードではないですか

それに比べてODは、酔っぱらって間違って飲んじゃったよあははは、で済みそうです

…と、当時は感じました

ま、トラベルミン箱買いしている時点で、そんなわけないだろと思いますが

 

で、トラベルミンを様々な薬局で少しずつ箱買い

記載されていた致死量よりもやや多めに購入

ウィスキーを酒場で調達

夜を待ち(19時くらいだったかな)、さぁグラス一杯のウィスキーを飲んで、トラベルミンとウィスキーのトッピングをぐいぐいすすめます

もともとアルコールに弱いため、だんだん眠くなり、なぜか涙がぽろぽろこぼれます

周りに見ている人がいたら異様な状況ですね

頭がぼーっとしてきますが、飲み切ったというのは、覚えています

 

続く

失業中…

しばらく更新ができない状況でした

 

勤め先が債務返済できず、大幅な人員削減

それにともない、無職となりました

うつを悪化

病院に通うお金はなく、生活費のために入れるバイトで食いつなぐ日々

何もする気が起こらず、死なないために、一瞬一瞬を思考を死に向けないことだけ精一杯

だんだんバイトに行ける気力もなくなり、引きこもりがちに

首吊り用のロープを探したりしている

当たり前だけど同じ年代の人は、普通に働いて、普通に家庭を持って、生活しているんだと思うと、その当たり前すらできない自分に気分が悪化

 

うつが悪化すると、頭が働かなくなるというか

辛いことだけが頭の中でリフレインして、ちょっとした出来事で昔の失敗や苦しいことが思い出される

更にまともに頭が働かず、バイト先で失敗する、ひきこもるという悪循環

 

悪循環を断つ方法は、自分が立ち直ることであることは分かっているのに、わかっていてできない

抜け出る光が見えず、ぼーっとしていました

絶望盆休み

 

盆休みだけれど、帰省する場所はない

両親は既に見送った

妻なし、子供もいない

 

両親が病気になったときに、なぜ保険外治療費の立て替えとかではなく、会社を辞めて実家に帰る選択肢が思いつかなかったのだろう、と思う

一度帰ったとき、あまりの顔色の悪さに、両親に心配をかけてしまったこと

あの時から、両親は自分に心配をかけまいと体調のことを言わなくなってしまった

土日も仕事で、思考力は完全に低下していた

あのとき、両親のことを考える余裕があれば

過去のことを振り返っても仕方がないのはわかっているけれど

両親、盆だから会いに戻ってくれないかなーと思う

 

男だらけの職場で朝から晩まで仕事

帰っては仕事

眠りのときも仕事の夢でうなされて、若いうちから去勢状態

就活で仕事がなくなるかもしれない、という恐怖に囚われすぎていて、いろいろなことをこぼしてしまった気がする

うまくやれていたら、妻や子のいる人生を送れていたのかなぁ

まぁ、考えても仕方なし

 

台風によって気温がやや下がり、すごしやすくなっている

風雨で骨董屋敷が崩壊しないかが懸念ではあるけれど

今は図書館で借りた人文系の書籍を読めることが幸せ

自然科学系の書籍はしばらく控えております

どこかで、自分の理解を纏めた記事を書いて

読んだ誰かの役に立てるのが、まずは夢の第一歩

 

明日までの盆休み、お薬を飲みつつ心を整える

生きているだけで、まずは自分が頑張れていると褒めつつ笑

絶望酷暑

夏になると休日が辛い

貯金もなく収入も低い私は、築自分の年よりも上のアパートに住んでいる

断熱性ゼロといっても過言ではない

むしろ外よりも室温の方が高いことがざらにある

部屋にいるとあっという間に汗が滝のように流れる

Tシャツから何から何まで滴らないものはない

水道水をがぶ飲みし、汗が再びでる

繰り返し

 

世の中には、室温を調整するクーラーという最新科学機器がある

しかし、私の乏しい収入の大半は家賃に吸い上げられる

そのような贅沢品に手が届くはずがない

我が家の最新鋭機器はリサイクルショップで500円で購入した扇風機である

頑張ってくれている、頑張ってくれているのだが、暑さを克服するまでには至らないのである

 

皮肉なことに室温だけを考えると、自宅よりも職場の方がマシなのである

装置の側は暑いが冷風がくるだけ、快適なのである

しかし、涼みにいくほど職場は(心理的にも)快適な空間ではない

 

となると、街にでることになる

お金があれば、涼めるところはたくさんあろう

しかし、貯金もできない収入の私に、有料施設に入ることはできない

行くところは、スーパー、複合施設、図書館のベンチになる

そこで、座って本を読んだり、歩く人を眺める

時折、となりに人が座る

長居をする人はたいていご年配の方か、住居に苦労されている方である

あぁ、自分はこの方たちと生活が同じなんだなぁ、としんみりする

命を守るためにクーラーをつけることを我慢しないでください、と言われているが

そうもできない人もいる

境遇に陥らないと実感できないものである

はじめに

はじめまして

「ぶるちき」

と申します

 

今の目標は、鬱病を治療して、辛くなくて生きること

このページは、試行錯誤してあがくメモとして始めます

まったく同じ境遇の人はいないと思うけれど、似たような境遇の人や、下には下がいるなーと安心してもらえればいいです

自分があかんくても、自分という下層の存在がまだ生きていることで、誰かがちょっとでも救われれば、まだ自分の人生に価値があったと思えるし

 

自分の生い立ち

 

生まれは日本

氷河期末期に辛酸を舐めながら、大学院卒の学歴を生かせず超ブラック企業に入社

*今思えば、入社しなくてはという焦りばかりで、どういう会社で何をしたいかなんて考えてなかった

今の学生はそのあたり、しっかり考えているらしい

すごいなぁ

 

 

新卒入社したブラックさん

 

サビ残当たり前

毎月実残業200時間オーバー

上司のパワハラモラハラ当たり前

お前の手柄は俺のもの、俺の失敗はお前のもの

バブル期世代が上に滞留し、出世のポジション待ちは大行列

ようやくポジションが空くころには、人事制度改革のもと、ポジション減少&下の世代と取り合い

 

そんなこんなで鬱を発病

2週間の通院という有給空けには、居場所はなし

というよりは、潰れたヤツは次々と辞めるのが流儀になっている会社だったので、致し方なし

それで、退職

 

退職後

電〇の事件が起こり、残業規制やパワハラ規制が始まる

風の便りによると、前職も変わってきたらしい

理由は自発的な変化ではなく、お役所様が入ったのがきっかけらしいけれど

 

もう少し鬱を耐えていれば、変わったのかなぁ、と

昔は今の暮らしを見ながら、思っても仕方のない考えが時々よぎっていた

今はもうね、ムダだもの、過去を思っても

 

退職後、失業手当を受けていなかった(考える余裕もなかった)

前職で給与を使う暇もなかったこともあり、しばらくは生活はできていた

*とはいえ、両親の治療費支払などで使っており、貯金があるというほどはなかった

 

 

朝から晩まで本当になーんにもしていなかった

ただ寝ているか、ぼーっと何か考えているか

食事はほとんどとっていなかったけれど、それでも家賃やユーティリティでお金は減っていく

当然、生活は困窮

パニックになり、とりあえず受けたのが、とある製造工場オペレーターの派遣業務

 

今までオフィスワーク&引きこもりだったので、1日たっているだけでも疲労して苦笑い

シフトも夜勤が、おっさんには地味に体にくる

給料はブラック企業の2年目給与よりも安い

 

それでも、今のところ、前の職場より、心は壊れない

とりあえず、目標は鬱明け

生きてて楽しいと思えることを見つける

 

で、生きながらえようと決意し、本日は終わり